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広島地方裁判所 平成8年(ワ)1126号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金一五万円及びこれに対する平成八年九月一一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告のその一を被告の負担とする。

理由

一  請求原因1(本件保険契約の締結等)について

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2(本件事故の発生)について

《証拠略》によれば、本件事故について、原告は、昭和六二年九月二五日午後七時四〇分ころ、広島市内において、助手席に妻を同乗させて原告車を運転して一時停止し、ブレーキを踏みながら身体を妻の方向へ向けていたところ、その後方から時速約四〇ないし五〇キロメートルの速度で進行してきた迫運転の自動二輪車が、左側を軽四輪自動車が追い突かそうとしたため、とっさにハンドルを右に切り、急ブレーキをかけたが原告車の後部左に追突し、迫は転倒して原告車左方に投げ出された(なお、原告車助手席に同乗していた原告の妻は、本件事故により特に傷害を負わなかった。)事実が認められる。

三  請求原因3(原告の受傷と入院等)及び同4(原告の後遺症)について

1  《証拠略》によれば、本件事故前の原告の身体の状況について、次の事実が認められる。

(一)  原告(昭和三年九月二〇日生)は、昭和五一年、金属鉄が右側頭部と肩に当たる事故に遭遇し、頭痛、耳鳴り等を訴えて、岡山大学医学部付属病院脳神経外科で受診し、他覚的な異常が認められなかったことから、同病院精神神経科へ入院したが、やはり他覚的な異常が認められず、精神療法、抗不安剤の投与を受け、症状は次第に軽快していった。

(二)  原告は、昭和五三年、広島県から神経性難聴による聴力障害(六級)の認定を受けたが、そのほかは、認定を受けた特段の身体障害はなく、昭和五六年から昭和五八年までの間、毎年、身体障害者スポーツ大会の一〇〇メートル競走等に出場している。

2  《証拠略》によれば、本件事故後の経過として、次の事実が認められる。

(一)  原告は、本件事故直後の実況見分においては、怪我はない旨述べていたが、その後、足の腫れや腰の痛みが日増しに増えたとして、昭和六二年九月三〇日から同年一一月二六日までの間、マッサージ師を自宅等へ呼んで按摩治療を受けた。

(二)  原告は、昭和六二年一一月二七日、腰痛を訴えて藤野総合外科病院を訪れ座骨神経痛と診断されたが、同病院で総合病院へ行くよう勧められ、同病院へは一日行ったのみで、翌年一月一八日、右下肢感覚鈍麻、痺れ、右下肢外側痛、痙攣、左下肢痙攣、腰痛を訴えて、市民病院に入院し、同年二月一五日、部分椎弓切除及びヘルニア摘出の手術を受けた。

なお、市民病院では、右側大腿神経伸長テスト陽性、右下肢第二腰神経以下の痛覚、触覚障害、右下肢筋のわずかな筋力低下との所見であり、腰部脊柱管狭窄症の診断を受けた。

(三)  原告は、昭和六三年四月二六日、市民病院を退院し、同日から同年七月三一日まで、腰痛、両下肢脱力、右下肢振戦、痙攣、頭痛を訴えて山田整形外科病院に入院し、腰部脊柱管狭窄症、両下肢不全麻痺の診断を受けたが、その後も症状固定の診断を受けた平成元年五月三一日まで、同病院に通院を続けた。

なお、山田整形外科病院では、右症状固定時の原告の障害の状況について、ステッキ歩行、階段昇降困難と見ている。

(四)  原告は、その後、三玉病院に受診し、平成元年八月三日、「両下肢知覚運動障害、右上肢知覚運動障害、左知覚障害で同年五月三一日付け症状固定である。また、両足歩行困難、知覚麻痺、痺れがあり、右腕も同様であって、左腕に杖を持ってやっと立つ程度で身体障害者福祉法別表三級の障害に該当する。」旨診断され、広島県から同三級の認定を受けた。

(五)  原告は、平成二年四月一九日、改めて三玉病院で受診し、同月二三日、「右上肢知覚運動障害、両下肢知覚運動障害がある。正常に動くのが左上肢のみであり、身体障害者と判断できる。左腕に杖を持ってやっと歩ける程度である。回復の見込みはほとんどない。」旨診断され、さらに、同年六月二〇日、同病院で、同様の症状で、外傷性脊髄損傷により身体障害者福祉法別表二級に該当する旨診断され、広島県から同二級の認定を受けた。

3  右のとおり、原告の愁訴、医師の診断症状等は多岐にわたるが、《証拠略》によれば、平成元年五月三一日の症状固定時の原告の症状は、所見が見られず原告の症状を説明できない外傷性脊髄損傷は否定され、下位腰椎変形性脊柱管狭窄症、腰部椎間板症及び胸腰椎黄色靭帯骨化症であると認められる。

四  抗弁(被告の免責)等について

1  《証拠略》によれば、本件事故において迫運転の自動二輪車が原告車に追突した速度は時速約二〇キロメートル程度であり、その際の衝撃度は、日常急ブレーキをかけたときに生じる衝撃度と同じかそれ以下の程度であり、一般的には傷害を負うようなレベルではないことが認められ、現に、原告車に同乗していた原告の妻が受傷していないことは前二に認定のとおりである。もっとも、右証拠によれば、生体組織の痛みは、運動が可動限界まで達しなくても、身構えることによって生じ、身構えて耐えることのできる範囲内の低い衝撃に対しては、構えて緊張していた方が、生体組織への負担が大きいので、前二に認定に係る原告の本件事故時の姿勢にかんがみ、衝撃が集中的に腰部に作用したと考えられ、本件事故の衝撃が原告の身体に影響を及ぼしたことは否定できないところである。

2  そして、前三3に認定に係る原告の症状固定時の症状について、《証拠略》によれば、医師千田益生は「腰椎黄色靭帯骨化症は、外傷によって生じるものではないので、本件事故と因果関係はない。その余の症状は、本件事故との因果関係を否定できないが、原告には、本件事故以前から、黄色靭帯骨化症及び多椎間の椎間板症が存在しており、その椎間板の弱さのため、本件事故により椎間板症が悪化し、それに加えて、頚部(腰部)捻挫の根症状型の病変が出現したため、複雑な症状になったと考える。」旨見ている。また、《証拠略》によれば、医師大谷清は「いずれも加齢変性を基盤とした疾患であり、本件事故と直接の因果関係はない。しかし、加齢変性のある脊髄に外傷が加わったために、加齢変性に由来する症状の誘発悪化は生じ得る。外傷を契機に加齢変性からくる症状発生の影響については、受傷後の経過、臨床所見、諸検査の結果、工学鑑定からみて少ないと考えられる。本件事故による傷害の程度は軽く、原告の加齢変性による既存疾患の症状が本件事故を契機として増悪したことは考えられるが、その直接的影響は少ないとみてよい。また、右下肢に関する愁訴については、検査所見等に乏しいので、心因性因子の関与が考えられる。結局、原告には、脊髄加齢変性による諸疾患が既存し、これに外傷が加わって既存疾患の症状が増悪したものとみられる。しかし、症状悪化に対する外傷の関与は少なく、外傷に対しては約一か月程度の治療でよい。以後に対しては既存疾患として扱うことが妥当である。」旨見ており、さらに、甲第二三号証(別訴における同医師の証人尋問調書)にも同旨の供述が記載されている。このほか、《証拠略》によれば、山田整形外科病院の医師山田博隆も「脊柱管狭窄症は、脊柱管内腔の器質的狭窄に起因する諸症状であるが、本件では、狭窄そのものは本件事故以前から存在しても無症状であったものが、事故による衝撃、局所の循環障害等により症状(両下肢麻痺)が発現したものと思われる。」旨述べており、《証拠略》によれば、広島大学医学部教授生田義和も「脊柱管狭窄症は、本件事故以前から存在していたと考えられるが、症状は事故外傷により誘発された可能性は否定できない。」旨述べているところである。

3  以上によれば、原告の症状固定時の症状については、既存の加齢変性の脊柱管狭窄症等(症状としては発現していなかったもの)が、本件事故を契機として増悪したため、一定の症状が発症し、これも本来一か月程度の通院治療により軽快するところが、その後も、加齢変性及び心因性因子により、それが更に増悪したものであると認めるのが相当である。

4  そこで、以上を前提として、被告の抗弁の当否について判断するに、抗弁1(本件約款の存在)の事実は、当事者間に争いがないところ、本件約款の趣旨は、本件保険が、事故による傷害に対する保護を提供するという傷害保険の性質にかんがみ、事故により発生した損害について、受傷時に既に存した身体障害及び疾病の影響がある場合、一定限度でこれを保護の対象から排除することにより、疾病保険等と守備範囲を分担するとともに、保険金の支払を通常生じ得る損害の範囲に限定して、保険者が締結する保険契約全体として適正な保険料率を定めようとするものと解される。

しかしながら、本件約款を、被告主張のように、損害が既存の疾病等がなかったと仮定した場合に発生しなかったと認められるとき、保険者が全面的に免責されると解釈すると、疾病保険等が保護すべき範囲(事故の寄与した部分については減額されると解される。)との間に間隙を生じることになりかねず、約款の趣旨とするところ以上に被保険者に不利益となる上、特に、既存の疾病等が症状を伴わない加齢性のものであって高齢者にある程度普遍的な要因によるものであった場合、社会通念上不相当な結果となり、保険の存在意義自体が問われかねない。

したがって、本件約款については、その趣旨に照らし事故と相当因果関係が認められる損害について、疾病等が及ぼした影響の部分を想定し、それを控除した部分の保険金を支払うべきものと解するのが相当である。

5  これを本件についてみるに、本件事故により原告に当座生じた症状は、既存の疾病等の加齢変性等による増悪を考慮にいれなければ、約一か月の通院治療で軽快する程度のものであるから、その余の平成元年五月三一日の症状固定時に至るまでの症状については、もっぱら加齢変性等により生じたもので、本件約款の趣旨から見て本件事故との相当因果関係を欠く、すなわち、本件保険の保護の対象外というべきである。

そして、原告に当座生じた症状については、前三に認定した本件事故後の経過、原告の既存の疾病の程度等本件に現われた諸般の事情にかんがみれば、既存の疾病等が与えた影響の程度と本件事故が与えた影響の程度とのいずれが大きいとも断定できないので、各五〇パーセントと認めるのが相当である。

以上に基づき、被告が支払うべき保険金額を算定すると、通院保険金日額一万円に本来通院が必要であったと考えられる日数三〇日(一か月相当)及び本件事故が与えた影響の程度五〇パーセントを乗じた一五万円となる。

五  結論

よって、原告の本訴請求は、一五万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成八年九月一一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を支払を求める限度で理由があるから、その限度で認容し、その余は棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 畑 一郎)

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